流れ行く歴史
ファッションに流行があるように、ホモにも流行がある。
私個人の偏見ではあるが、
10年前くらいはツンデレや誘い受けが流行っていたような気がする。(嫁が雲/雀さんだったからなのも大きいかもしれないが)
強キャラが組み解かれる様はエロみが増すのだ。しかし強キャラとしてのプライドがツンデレや誘い受けに反映されたのだと思う。
しかしふと考えると最近はワンコ受けとか、男の娘とか抵抗なく(あるいは抵抗弱い)受けが増えてきてるのではないかと思う。
何故なのか。
ワンコ受けも正直かわいい。
ワンコ受けとスパダリ攻めくんかわいい。
私が考えうるに、腐女子にとっての摂取する作品の移り変わりが背景にあるのではないだろうか。
昔はジャ○プなど少年漫画に腐女子は多く群がっていた。
その結果、普段は強キャラ/クールなどのキャラがホモに転じた際に元キャラの特性を活かすと自然と誘い受けやツンデレなどにるのではないだろうか。
最近はお○松やF○ee、ユー○オン○イスなど、NOT戦闘の日常に寄せた作品に腐女子が群がる傾向にあるため誘い受けよりもワンコ受けが増加しているのではないかと考える。
まぁ私はどちらも美味しく頂く。
ホモに垣根はない。
齢15の時から腐女子を始め、ふと振り返ると同じホモの中にも流行や傾向があるのだなぁとしみじみする。
なんやかんや雲/雀さんが世界で1番可愛く見えたり、なんやかんやスーパー攻め様や誘い受けが好きなのは鳥の刷り込み現象と同じく初めてみたホモが自分の親になるのだろうか。
これは私個人の考えだから皆に当てはまるかは分からないが。
話が戻るが男の娘には、腐女子の中にも賛否両論あるのでここでホモのくくりにするかは悩んでしまう。
男の娘や、ふたなり、TSなどは意見が分かれると思う。
しかし昔からにょたい化はあったのに、ふたなりや男の娘が賛否分かれるのは何故なのだろうか。分からない。
そして気づいたのだがにょた化って言葉…今は使わない……?
もしくは男性向けがTSで、女性向けがにょただったりするのか?
この辺は闇が深くてよくわからないがちんぽこ生えた人が絡んでいたら私はなんでも美味しく頂く。
長くなってしまったが、結論は全ての物事にも歴史があること。この歴史を感じながらこれからもホモをめでていこうと思う。
矛盾と苦難
この話の大前提として、私は推しには右であって欲しいというこだわりがある。
ここでいう「右」というのは、他に言い換えるとネコ、受け、と言ったいわゆるポコチンを入れられる女側の方を指す言葉である。
まず推しは可愛い、すごく可愛い、可愛いから右に決まっているのだ。
また、推しの可愛い顔を、表情を見たい。
さすれば自然と推しは右となり喘ぐ、ほだされる側になるのはごく当たり前のことなのだ。
ガンガン掘られる受けちゃん…エロみ…
スコッティ……………
しかし、時としてこのこだわりは矛盾と苦難を生じさせる
受けちゃんには右であって欲しい。
しかし受けちゃんが圧倒的攻め要素を持っていたら??どうする?
例えばだ、
ヒ/プ/マ/イなどそうだ。
※イメージ画像です
私の推しがリーマン、ホモい相手がホストの設定だ。
これは腐女子としてはリーマン×ホストになるのが常識であろう。
普段オラオラした職場のホストが、真面目なリーマンに掘られるのが「オツ」なのだ。
しかしだ、腐女子として上記の常識はあるものの私の推しはリーマンなのだ。
推しには受けであって欲しい気持ちと、リーマンという職業には攻めであって欲しい気持ちと…
ここで矛盾と苦難が生まれる。
私はどっちも読むし漁る。どちらも尊い。
しかし悩む、苦しむ、難しい…
悩む、すごく悩むがどちらにせよ尊みはあるのだ。なぜならばどちらにせよ、「ホモ」であることには変わりはないのだから。
人間誰しも大切なこだわりや思いはあるが、生きていく中でそれが必ずしもまかり通るとは言えない。そんな中でも、物事の本質というものを捉えることが出来れば順応に対応できるのだ。
これからもこだわりは大切にしていきながらも、視野を広く本質(ホモ)を忘れずに生きていきたい。
追記
ヒ/プ/マ/イのような、検索よけのスラッシュを最近見ない。
私にとってのホモ
15歳になった頃からか、私はホモに興味を持ち始め気付けば腐女子と呼ばれるものになった。
今年25歳になるので今年度で10周年である、そのため自分の腐女子観念について語ってみようと思う。
きっかけはワンピースを同人誌を小学校二年生の時にブックオフで見てしまったことだとおもう。サンジとゾロができていたのが小2の私には理解不能であった。
理解不能ではあったが心に残るものがあった。
その想いを胸に抱えたまま私は中学生になった。
中学三年生、私は受験勉強を1日7〜10時間しており気が狂いそうになる毎日だった。
当時、リボーンという漫画にハマっており息抜きにYouTubeで検索したらウエスタンショーの動画がでてきた。あの頃からの腐女子であれば知っているだろう。
そこからリンクを辿り、あれよあれよとネットのホモの海に飛び込んでしまった。
衝撃だった。
衝撃だった、そしてハマった。
見事にハマった。
MAD、同人誌、同人用HP、BL小説、pixiv、ニコニコ動画、…親が居ぬ間を盗んで今のパソコンで見漁った。
そしてバレないようにお風呂に自由帳を持ち込んで描き漁った。
幸せな毎日の始まりであった。
インキャだった私は日々愚痴を日記に書き溜め、中学校生活だけで6冊くらいに及んだがそれもなくなるくらい日々の生活、価値観が変わった。
そして愚痴日記ではなくアメブロでBL小説を書き始めた。
これだけはほんとうに死にたい、振り返るたびに死にたくなる。ほんとに。マジ黒歴史。
ハンネは.。゚+柚子姫(ゆずき)。+.゚だった、殺してくれ。マジ死にたい。
でもいい思い出だと思う。多分…。
ちょっとエロい小説書いてた、くそインキャの処女のくせに。はぁ…。
そのままこじらせ高校に上がり、人生初めてのアニメイトに行って人生初めてのホモ本を購入した。あの興奮を今でも忘れられない。
高校を卒業する頃には、埼玉に受験の帰りに電車で初めての乙女ロードに踏み入れて薄い本を書いたおした。
専門では実習が忙しかったがpixivは毎日欠かさず読んだ。
社会人になったらエロ本が爆発的に増えた。財力だ。あと純愛が好きだったが、エロいホモが好きになった。嗜好もすこし大人になった。
こうして振り返るとこんなにも長く続く趣味は他にないと思うし、なんなら腐女子になる前は何が好きだったか思い出せない。
やっぱり自我というものは腐女子になってから芽生えたのだと思う。
最近心を病むことが多かった、pixivでは毎日ホモを読んでるがルーティン化してしまっていたのかもしれない。
こうして文章に起こしてホモについて真剣に考えていたら心が穏やかな時間であった。
忙しい日々ではあるが、今一度ホモへの向き合いかたを考え直したい。
そう、風呂場で隠れてリボーンのキス絵を書いてた、親に隠れて居間でホモMADみてた、あの頃の真剣さを思い出そう。
私にとってのホモとはなんなのか、まだこの未熟な語彙力では言い表せない。
これを機に向き合い、生涯をかけてこの答えを見つけていけたらと思う。